アニメージュ 9月号

声優24時


◆苦労も淡々と語る都会派の美学

一見、軟派タイプの都会人

『アニメージュ』8月号冒頭に掲載の『さらば宇宙戦艦ヤマト』の制作記者会見の写真に見入りながら、ポツンとつぶやいた。
「ヘェー、こんなすごい記者会見をやったんですかぁ、知らなかった。しかし、すごいもんだネ」
ご存じ、古代進の声を演ずる富山敬さん。カケ出し時代を含めれば、声優歴20年のベテランである。その声は、心なしか「声優ってのは、まだまだアニメ作品にとってサシミのツマ扱いなんだネ」とでも言っているように聞こえた。

現在、出演中のレギュラー番組が『スタージンガー』(サー・ジョーゴ)、『グランプリの鷹』(轟鷹也)、『キャンディ・キャンディ』(テリー)、『ヤッターマン』(ナレーター)、『ピンポンパン』(ブチャネコ)など。その他、単発に各テレビ局の洋画劇場で放映する作品の吹き替えが週に1〜2本。インタビュー当日も、その単発のNHKで放送予定の『マッコイと野郎ども』のリハーサル日だった。

古代進のような若い正統派二枚目OK、三枚目大いにけっこう、はたまたアニメではないけれども、この12月放映を再開する『刑事スタスキー&ハッチ』の黒人情報屋なんて役もまた楽し・・・何でも器用にこなしてしまう、この世界の超売れっ子である。

「声の俳優の楽しいところは、ホラ、姿・形・年齢に関係なく、二枚目、三枚目、どんな役でもやれるって事でしょう。不思議なことに、僕のこの顔で二枚目の役がけっこうとび込んでくる」

そう言ってニヤリと笑ったが、誤解無きよう付け加えれば、別段この人が二枚目とは程多い、ひどいご面相の持ち主というわけではない。
一見したところは、軟派タイプの都会人といったムード。


"演劇少年"からの出発
富山さんの芸能人としての出発は、他のベテラン声優陣のほとんどがそうであるように、演劇である。
中・高校とも東京・芝にある私立正則学園で学ぶ。中学の頃から演劇部に所属し「とにかく舞台に上がって何かやっているのが好き」という演劇少年だった。
高校在学中、当時あった東宝児童劇団に入団。
その後、日大芸術学部に進学したが、「ご多分にもれず?」2年で中退。今はなくなってしまったが「葦」という名の新劇の小劇団にしばらく籍を置いたあと、仲間と一緒に「劇団河の会」を作り、約11年活動したが、その後フリーとなり、ただ今は声優業一筋。

「現在の青二プロに移ったのは、ほんの2年前ですよ。それまではずっと名もなき劇団で、およそ金には縁のなさそうな芝居に見果てぬ夢を追っていたわけで・・・」

声優としての出発は昭和32年、東北放送のラジオドラマ『源九郎物語』へのレギュラー出演。もちろん生活費稼ぎ。やりたい芝居をやるための資金稼ぎである。

「ラジオドラマだけじゃない。あの頃は邦画の全盛期でしょ。映画にもずいぶん出た。最初は大映初のカラー作品、京マチ子さん主演の『いとはん物語』だったなぁ。明治時代のチンピラの役。日活じゃ、小林旭の人気が急上昇していた頃で青春アクション物のチンピラ役もずいぶんやった」

昔の苦闘時代を語っているという口調では、全然ない。淡々と、カラッと、あれも楽しかった、これも面白かった、意外にそんな雰囲気が漂う口調である。

「その頃の収入?そりゃ、金がないなんてものじゃなかった。でもそれで、みじめな気持ちになったことなんかないし、今でも苦労したなんて全然思ってない。だって、自分のやりたいことをやっていたんだから、金がなくて当たり前と思っていたしね」

芸能界に入っていく若者には二つのタイプがある。「いつか見ておれ、俺だって」式に、スターダムに乗り、栄光の日々に夢を馳せる「一旗揚げよう」タイプと、本当にそこでの生活が性にあっており、金や栄光など無関係に身を投じてくるタイプ。

「僕は完全に後者。一旗揚げるなんてこと、夢にも考えたことないなぁ」

良くも悪くも、典型的な都会人タイプの人のようだ。
いつも、自分の行動を斜にかまえて眺めていて、スターになるために歯を食いしばって頑張ってますなんて姿、みっともなくてできるか、もっと気軽に、それが男のダンディズムってもんよ、いつも心にそう言い聞かせているような...。


"芝居"は見果てぬ夢
アニメへの声の出演第1号は昭和38年の『鉄人28号』だった。この出演の仕方が、また何でもこなしてしまう、極めて富山さん的出演の仕方。

「一応、レギュラーなんですよ。でも決まった役なんて何もない。今日は研究所員A、明日は警官B、その次の日は所員C、そういうレギュラー出演」

最初の主演は『佐武と市捕物控』の佐武役。あとは『タイガーマスク』『男一匹ガキ大将』『グレンダイザー』『侍ジャイアンツ』、そして極めつけ『宇宙戦艦ヤマト』と主演作品はひきもきらず。
レギュラー出演週平均4〜5本という、超売れっ子の道をひた走る。

「芝居の舞台に立たなくなってもう11〜12年間かな。見果てぬ夢として、またいつかやりたいと思っているけど、当分は声優一本でいくでしょうね。でも、レギュラー週4〜5本ってのは、きついけど、それだけやらないと食べていけないですヨ。なにしろ、声優のギャラってのは安いから」

例えば歌手の歌謡番組への出演料は、ドラマに比べてベラ安、トップスタークラスで1回8万円もいけばいい方だといわれている。それぐらいは?

「とてもとても、そんなにいくもんですか」

そういって笑う。「安い」とか言いながら、べつだん「憤っている」ふうでないのがこの人の特徴だ。クールなのである。
数年前、ギャラアップと待遇改善を要求し、声優さん達が街頭デモを敢行、話題になった。

「あれで、だいぶよくなりました。でも、ランク制度が残っている限り、根本的に改善されることはないでしょうね」

ここ2〜3年、中・高生の間で熱狂的様相を帯びてきているアニメブームについても、富山さんは「よくわかります」などと媚びた言い方はしない。

「ボクなんかのところにも、かなりファンレターが来たりするんですよね。そう中・高生から大学生まで。会報を発行したり、よくわかりませんネ(笑)仲間内で、どういうことなんだろう、なんて話し合ったりするんですが。昔はディズニーの映画を中学生や高校生が見に行くなんてこと、ほとんどなかったですよネェ」


悲惨な思い出を淡々と・・・
ちょっと見には、年齢不詳といった感じだが、昭和13年生まれの39歳。生まれたのは旧満州、中国大陸の東北地方・鞍山というところ。

「終戦で母と二人引き上げてきました。弟が二人いましたが、一人は事故で、一人は栄養失調で現地で亡くなった。ぼくだけなぜか生き残って・・・東京に帰ってきたのは小2のときです」

淡々とは語りようもない、強烈で悲惨な思い出であるはずなのだが、富山さんの口調は、あくまで淡々とかわいている。たぶん、この人の生き方を貫く美学であろう。個人的な体験を声高にわめき立て、自分を売り込む商品価値の一部になど死んでもしたくないという。

「満州と引き上げでの記憶が、とりわけその後の僕の性格形成に影響したとは思いませんね。そう影響していないと思う」


ところで、このところ週4本のレギュラーに、単発の映画の吹き替えと、ほとんど休日がとれない富山さんの唯一のストレス解消法はお酒だ。

「量としてはボトルの4分の1ぐらい。ええ、毎日飲んでいます」

インタビューの最中には、タバコをひっきりなしにスパスパ。「声優はのどが命だから、のどには気を付けています」なんてカッコつけたこといわないのが、この人らしいところ。

「かぜをひかないようにとか、一応の注意はしますがネ、でもかぜをひいてても、吹き替えやアニメの仕事は意外とゴマかせるんです。ナレーションやCMの声の場合は絶対ダメだけどネ。一度CMの録音の時、「どうぞ今日はお引き取り下さい」って追い返されたことはありますヨ」

失敗談をサラッと話して、ニコニコしている。
今日は『グランプリ----』、明日は『スタージンガー』、そのまた次の日は古代進と、日ごとにキャラクターも年齢も違う人間の声を演じなければならないわけだが、混乱するなんてことはまずないそうだ。

「不思議に、その場に行くとその声が出てきますねエ。訓練しているからかなァ」


愛着がある『佐武と市捕物控』
そんなことよりも、富山さんが一番『よろしくない』と思っているのは、テレビのアニメが急増した結果、制作体制が極めて雑になっていること。

技術そのものはずいぶん進歩しているんですがネ。例えば声の吹き込み。以前は、アフレコの段階には絵はほぼ90%出来上がっていた。ちゃんと登場人物の絵を見ながら、声を吹き込めたんですネ。ところが最近では、吹き込みになっても絵はほとんど出来ていない。あるのは簡単な絵コンテと台本のみ・・・」

「画面に赤線とか青線が入りましてね。ここは15秒間○○のセリフが入りますとか、ここでは5秒間△△のセリフという指示があるだけ。こっちは絵コンテながめながめ、ここでは彼はこんな表情かなァ、なんて一生懸命想像しながらセリフを言っていくわけです。芝居することより、大部分の神経は、出来上がってくる絵の表情とセリフが喰いちがっちゃぁ大変だってことで、合わせることに集中しちゃう。今じゃ、それが当たり前になってしまっているんです」

プロだから、それでもできるが、とまでは言わないが、本当になんとかなりませんかねぇ、という感じが伝わってくる。

クールそのものの富山さんでも、数え切れないほどの出演作の中には、とりわけ愛着があるといった人物があるという。第1回主演の『佐武と市捕物控』の佐武役。

「いい作品だったんですヨ。シロクロでね。最初、夜9時台に放映していた。大人の時間帯ですよね。それが視聴率が上がらなくて、その後7時台に移っちゃった。大人の時間にアニメを放映する実験としちゃ、ちょっと時期尚早だった。でも、もう一回、やりたいですね。当時のスタッフに会うと言うんですよ。『パート2やろう』って。ちゃんと大人の鑑賞に堪えうる作品にして、大人の時間に。今なら夜8時、9時台でもいけると思うんです」

「宇宙ものはもういいでしょう」
と笑った。
「『浮遊雲』なんかアニメでやりたいですねえ。大人向けの時代物、そろそろやってもいいと思うんだけど・・・」

「つい最近までは『声優』と呼ばれることに抵抗あったけど、最近は平気になりました」
と述懐する富山さん。その表情がふっとなごんだのは、話が4つになる坊やのことにおよんだとき。

「子どもって、耳がいいんですかネエ。僕の出る作品はほとんど見ているようですが、全部当てるんですね、どれが僕の声か。全然教えてないのに。たった一カ所しか出てなくても「あっ、これお父さん」なんて当てますヨ。アレ、どうなってんのかなァ」

せっかくの、オヤジの芝居も4つの一人息子には、全てお見通し?それとも『センダンは双葉より芳し』、名声優二代目富山敬誕生への片りんを早くものぞかせているのか・・・とにかく、語る富山さん、この時の身は、生身のオヤジの表情だった。