『優しき声の友よ』西ゆうじ著(立風書房)より抜粋

 ぼくの友達のなかには、千葉県で最も遠い所に住んでいる人もいる。
 その人は富山敬さん。敬さんは八千代だ。
 ぼくと敬さんは仕事が一緒の時、よく同じタクシーで帰る。

 『宇宙戦艦ヤマト』を4時間生ラジオドラマとして最初にやったときだった。
 敬さんは古代進役、もちろん主役だった。
 本番前ソワソワしている出演者の中で、落ち着いているのは、「俺たちは、昔生ドラマをやっていたんだ」というベテランの人達と敬さんだった。
特に落ち着きがない様子なのは、若手の役者さんたちだった。

 午前1時、ドラマは始まった。
 それからしばらくして、若手の役者さんたちの間で、次のような言葉がささやかれはじめた。

「おい、敬さんの手が震えていたぞ」
「なんだって、敬さんの手が?」
「敬さんだって俺たちと同じなんだ!」
「うん、俺たちも大丈夫だな!」

 ドラマが始まってしばらくの間、敬さんの手が震えていたのだ。
 確かに僕も見た。ほんのしばらくの間なのだが、本当に震えていた。
 あれは武者震いというものだったのかもしれないが、それを見て、若手の役者さんたちは心に余裕ができて、やりやすくなったようだった。

 そしてドラマはこれ以上ない出来になった。
 敬さんは5時までの4時間、見事に古代進を演じてくれた。
 それは惚れ惚れするくらいの素晴らしさだった。
 とにかく敬さんの演技は実に上手い。
 たとえ僕が60%の作品しか書けなかったとしても、敬さんがそれを演じると、80%にも100%にも150%にもなってしまう。僕はつくづく敬服している。

 『SF竹取物語 遙かなる星の伝説』の打ち上げの時だった。
 会が終わり、僕と敬さんは一緒にタクシーで千葉まで帰った。
 その車の中で----

「こんなことを聞くのはなんなんですけど・・・今回、敬さんにナレーションやってもらったでしょう。敬さん、ナレーション嫌でしたか?」
「いや、そんなことはなかったよ。僕はナレーションも嫌いじゃないから、よかったと思ってるよ」
 キャスティングするとき、僕はさんざん考えて、敬さんにナレーションをやってもらおうと決めたのだ。
 敬さんの語りが好きだったし、それに敬さんには毎日出て欲しかったからだ。

「実はあのドラマに2,3万通の反響が来ているんですがその中に、敬さんがナレーションじゃ嫌だというのが何枚かあったものですから・・・」
「心から良かったと思っているんだ。というのも、あれの最後の録音が終わって帰るときにね、エレベーターの中で金内吉男さんから「ナレーションよかったよ」って言われたんですよ」

 敬さんのような上手い役者でも、金内さんのようなすごいベテランに誉められると嬉しいんだな、と僕は思った。
 よし、僕も人から面白いと言われる作品をたくさん書いてやるぞ、と心の中でつぶやいて一人興奮してしまった。
 そんな僕を市川で下ろして、敬さんは千葉県のアマゾン八千代へと帰っていった。