◆逝ってしまったヤン・ウエンリー    佐々木望◆
『銀河英雄伝説』ユリアン役などで共演

本当に残念です。
言葉にならないくらいに。

この春OVAの『銀河英雄伝説』でヤン・ウエンリーが亡くなったことを思うと、なんだか日常を越えた何かが働いているように感じられてしかたがありません。

富山さんとは声優を始めてすぐに『Oh!ファミリー』という作品でご一緒したのが最初でした。
富山さんはレギュラー、僕は特に決まった役ではなく、毎回ガヤで出演という感じだったと思います。
あの番組でスタッフの慰安旅行に行ってまして、その時、浴衣姿の富山さんと僕は、なぜか二人だけで広い座敷にいたことがあるんです。
別に何をお話ししたわけでもないんですけど、このたびの訃報に接したとき、一番最初に僕の心に浮かんだ富山さんの姿は、あの時の浴衣の富山さんでした。

それからもどんな現場でお会いしても、畏れ多いし、尊敬しているし、なかなかこちらから気安くお話しすることなど、できようはずもなく、今思えばとても残念です。


◆「素敵ですね」と言いたかった    水谷優子◆
『ちびまる子ちゃん』まる子の姉役、『爆れつハンター』ショコラ役などで共演

私がこの世界に入る前、敬さんの役で一番好きだったのは、『ニルスの不思議な旅』のレックスでした。
ちょっと三枚目で、いわゆるワルなのに憎めない。
敬さんの芝居はいつも人間味が溢れていましたね。

敬さんは物静かで、私たちに「こうしなさい」とか何も言わないんです。
黙って自分でどんどん実践する方で、役者としてあらゆる面で教えられたと思います。
絶対にトチらなかったし、いいわけもしなかった。

すごく尊敬していましたが、今さら私のような後輩が、「素敵ですね」とはなかなか言えないでしょう。
だから雑誌などで、尊敬する人は?と聞かれると富山敬さん、と答えていたんです。
敬さん、どこかで読んでくれてないかな・・・と思って。
とうとう敬さんには直接は言えずじまいでした。

最近『ちびまる子ちゃん』の中で、おじいちゃんが来てくれるのをずっと待っていたまる子に、おじいちゃんがトランシーバーごしに「まる子のすぐ側にいるよ」って言うくだりがあったんですが、なんだか、敬さんのことをダブらせてしまいました。

敬さん、なんで遠くへ行っちゃうんだよ、とみんなが思っていたけど、その時、敬さんがいて、「ここにいるよ」って言ってくれたようで・・・。


◆敬さんのつぶやき    勝田 久◆
声優。富山さんとは友人として、また著書『声優のすべて』の取材を通して親しかった

昭和54年(1979年)4月5日、東京有楽町の日劇の二千の観客席を埋めつくした若い観客の叫ぶ声が、ただワーワーとこだまして、劇場内を圧していた。
「敬さーん!」
「トミヤマさーん!」
その叫び声は、『宇宙戦艦ヤマト』の古代進・富山敬の登場で一段と激しくなった。
五色の紙テープがステージ目がけて舞っている。

声優フェスティバル・ボイス・ボイス・ボイスの初日。
すでに会場は興奮のるつぼと化していた。
巨大なアークスポットが、自分をフォローしているのを敬さんは感じた。
あの満州で見た夕陽のように、それはゆらゆらと燃えていた。
彼の心は34年前の冨山邦親に戻っていく。

果てしなく広がる高梁畑の向こうに、真っ赤に燃えた太陽が沈もうとしている。
あの夕陽の下あたり、奉天の近くの小高い丘に、逃避行のさなか、命を落とした幼い弟たちが眠っているのだ。
泥にまみれ、ボロボロとなった衣服をまとった母と子が、その沈みゆく大きな夕陽を見上げていた。
昭和20年の夏、冨山邦親7歳の時のことである。

正則高校時代、彼は演劇に熱中し、東宝児童劇団に飛び込む。
初舞台は水沢草田作『金の鶯(うぐいす)』。
たまたま僕はこの劇に客演、敬さんを知った。
彼はさらに日大芸術学部演劇科へ進む。
昭和35年、劇団葦(あし)の研究生。抜擢されて、『三文オペラ』に出演。
当時の新劇の公演ではギャラはもらえない。
その日その日を食いつないでいくためには、バーテン、キャバレーのボーイ、呼び込み、サンドイッチマン、日銭が得られるものは何でもやった。

昭和40年、始めてのアニメのセミレギュラーがとれた。
『鉄人28号』。
と言っても、通行人Aとか警官B、毎回役が違う。つまり端役引受人。
それでも天にも昇る心地がしたという。

そして昭和43年9月、彼はついに主役をつかんだ。
オーディションで数多くの先輩を抜いて、『佐武と市』の佐武役を射止めた。
その後は、『男一匹ガキ大将(万吉)』、『タイガーマスク』(伊達直人)、『宇宙戦艦ヤマト』(古代進)と、一瀉千里の勢いであった。

業界での富山敬の地位は不動のものとなったが、彼はおごることもなく、礼を失せず、いつも目元に微笑をたたえて控えめであった。
友蔵を演じられる年齢になっても、未成年の若者を演じる能力を失わずにいたのはなぜなのか、芸域が広かっただけでは済まされないような気がする。
敬さんは天才であった・・・・という人もいるが、敬さんは努力の人でもあった。
友蔵さんのような善人を演じているときの彼は楽しそうであったが、多角的なキャラクターを演じるときの彼の顔は実に険しかった。
寡黙な彼がますます寡黙となるのだ。

ベテランの仲間入りをする頃から、彼がプライベートで多くの悩みを抱えるようになったのを僕は知っている。
その悩みを振り切るように役作りに没頭しているようにも思えた。

寡黙な彼が酔ってつぶやいたことがある。

「満州のネ、真っ赤な夕陽が僕を奮い立たせてくれるんですヨ・・・・・・・」

そのつぶやきも、一昨年暮、最愛の夫人和江さんを亡くしてからは聞くことがなかった。